【勝手にレビュー】ひかり – ASIAN KUNG-FU GENERATION

【勝手にレビュー】ひかり - ASIAN KUNG-FU GENERATION


勝手にレビュー#16はASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアンカンフージェネレーション)の「ひかり」という曲を。

この曲はシングル曲などではなく、初収録はコンピレーションアルバム「ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN COMPILATION 2011」です。

タイトルに2011とついているので、2011年の作品です。

そして2014年に発売されたコンピレーションアルバム「フィードバックファイル2」にも収録されています。

そのASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ひかり」の歌詞を見ながら勝手にレビューしていきたいと思います。

歌詞の意味だったり、解釈的なものはもうほんと超個人的見解になりますし、そもそもこの「ひかり」という曲は何かをひも解く的な歌詞ではありません。

ですが、目を通していただけたら、そしてもしよかったら実際に「ひかり」という曲を聴いていただけたら幸いです。

ひかり – 勝手にレビューの前に


まず、ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアンカンフージェネレーション)というバンドですが、自分は割と好きなバンドで、ライブに行った事もありますし、新譜は今でもチェックしているぐらいには好きです。

めっちゃくちゃ詳しい!熱狂的なファン!ではないですが、好きなバンドの1つです。

そのASIAN KUNG-FU GENERATIONの数ある曲の中で今回選んだ「ひかり」は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの中で1番聴いている曲だと思います。

というかASIAN KUNG-FU GENERATIONって長いのでここからはアジカンって書きます。

昨年、アジカンの「エンパシー」という曲のレビュー記事を書きました。
【勝手にレビュー】エンパシー – ASIAN KUNG-FU GENERATION

良い曲でしたね、アジカンの曲の中でも結構好きな方です。
※ヒロアカ補正があるかもですが。。。

エンパシーに関しては発売が昨年だった事もあり書いたのですが、今回の「ひかり」に関しては2011年に発表されている曲です。

もう11年前なんですね、2011年は。

そんな2011年のアジカンの「ひかり」についてレビューしていきたいと思います。

ひかり – ひかりとは真逆の出だし

アジカンの「ひかり」はこんな感じの歌詞で始まります。

言葉など一言も出てこなかった
想いにもならないものが体を走って
ポケットにはなけなしの空しさがあって
僕らは何処へも行けずにいる

言葉が一言も出てこない状況ってどんな時でしょう?

想いにもならないものってどんなものでしょう?

なけなしの空しさがあるってどんな瞬間でしょう?

何処へも行けずにいる状況ってどんな感じの時でしょう?

きっとすべてプラス(良い)な出来事ではなく、マイナス(良くない)出来事の時ですよね。

希望よりは絶望寄りの。

どんなコードもふさわしくないと思った
メロディでは辿り着けないと思った
TVでは遠く街並みが映って
僕らは何処へも行けずにいる

コードというのは曲の構成というか、流れというか、「複数の音が同時に鳴っている状態」でそれを組み合わせていくのを「コード進行」と言うのですが、その話を今回置いておきます。

つまり簡単に言うと、どんな「音」もふさわしくないと思ったって事だと思っていただければ。

ミュージシャンが「どんなコードもふさわしくないと思った」と思う。

これって先ほどの「言葉など一言も出てこなかった」と同じ感じですよね。

その後に続く「メロディでは辿り着けないと思った」もそうです。

想いを曲などに変えて届ける人たちが、「メロディでは辿り着けない」と思うって、相当ですよね。

続く歌詞、「TVでは遠く街並みが映って 僕らは何処へも行けずにいる」

何処へも行けない状況に変化はなく、ただただTVに映る街並みを眺めているだけ。

正に「何もできない」状態ですよね。

そんな絶望感溢れる状態の歌詞のまま、サビへと突入します。

ひかり – 「君」と「彼」のひかり


君の小さな指も
彼にはひかりのようだったろう
共に在った日を忘られずに
彼は生きて行くのだろう

それまでは「僕ら」と自分の事っぽい歌詞でしたが、サビに入り、「君」と「彼」がでてきます。

君の小さな指も彼にはひかりのようだったろう

ひかりってのは希望のようなものですよね。

先ほどの絶望感っていうのは、「自分」だけのものではなくて、他の人にも訪れているもので、その中にある「希望」

しかし、「ひかりのようだったろう」ってのは過去形ですよね。

「今」ではなく「過去」の話ですよね。

その後に「共に在った日を忘られずに 彼は生きて行くのだろう」と続きサビが終わります。

共に在った日

恐らく共に過ごした日々

共に在った過去の日を忘られずに生きて行くのだろうって事ですよね。

何かがあって、その時に「君の小さな指」は「彼」にとって「ひかり(希望)のようだったろう」って事ですよね。

絶望的なものが覆う中にあった「ひかり」

希望とか、ひかりってのは暗い時だからこそ見えてくるものかもですよね。

明るいところでは気づかないし、暗くなった事でそれが希望(ひかり)に変わる事もあると思います。

当たり前の事が、特別に変わる瞬間というか。

勿論、絶望なんて感じたくないです。

けど、時としてそうったものは否応なく押し寄せてきてしまいます。

どうやっても防げない時があります。

そういった状況になった時の感じってのはきっと、サビ前の歌詞の状態なんじゃないかなって。

それがリアルな感じなのではないかなって。

ひかり – 簡単に変わらない日々


スーパーマーケットの売り場をぼんやりと見渡し
何もかも都会の僕らには足りなかった
行列には並ぶ気にすらならなくて
僕らは何処へも行けずにいる
悲しみを打ち消すメカニズムはなくて
優しさを持ち寄るしか僕らはなくて
TVでは遠く街並みが映って
僕らは何処へも行けずにいる

サビが終わりまたちょっと違う感じに。

「スーパーマーケット」で売り場を見渡し、何もかも都会の僕らには足りないと思った。

ここで新たに「都会」って言葉が出てきますね。

そしてその都会で「行列」に並ぶ気にすらならないと。

行列ができる時ってのは「人気」なものだったり、「希少価値」のあるものだったりですよね。

何かを手に入れるのに「並ばない」といけない。

が、並ぶ気にすらならなかった。

なぜか?冒頭で「言葉など一言も出てこなかった」状況で、「何処にも行けずにいた」からかなと。

そして、「悲しみを打ち消すメカニズム」「優しさを持ち寄るしかなくて」と言った言葉から、やっぱり良くない事があった時の話。

そしてやっぱり「僕らは何処へも行けずにいる」んですね。

つまり簡単に状況は変わらないと。

ひかり – 「彼」と「彼女」のひかり


彼と繋ぎ合った手も
彼女にはひかりのようだったろう
共に在った日を忘られずに
彼女は生きて行くのだろう
小さな指も
彼にはひかりのようだったろう
共に在った日を忘られずに
君は生きて行くのだろう

先ほどのサビでは「君」と「彼」だったのが、ここでは「彼」と「彼女」になっています。

その後は1番と”ほぼ”同じサビがきます。

これって「君」と「彼女」は同じ人なのかなーと。

でも、それだったら「彼女にはひかりのようだったろう」じゃなくて、そこでも「君」を使えばいいか。。。

ってな考えがぐるぐると。

で、1番と”ほぼ”同じ歌詞が続きますと書いたのですが”ほぼ”同じという事は、まったく一緒という訳ではない。

どこが違うのかというと、最初の部分と最後のフレーズ。

最初の部分は「君の小さな指も」が「小さな指も」になってます。

そして最後のフレーズは「彼は生きて行くのだろう」だったのが、2番では「君は生きて行くのだろう」になってます。

ここにどういった意味があるのか。。。

ってな考えもぐるぐると。

ここでは結局結論は出ず!てな感じでした。

ひかり – この先も、憶えているもの


せめて僕は憶えていよう
東京の街で途方に暮れた日々を
せめて僕は憶えていよう
圧倒的なこの無力を
花びら
春の風
木陰の居眠り
海辺の街並み
君を思って祈る

最後のサビに入る前のフレーズ。

「せめて僕は憶えていよう」

せめて僕はってのは「もし仮にみんなが忘れてしまっても」ってな感じですかね。

で、何を憶えていようと思ったのかというと「東京の街で途方に暮れた日々」と「圧倒的なこの無力」です。

最初の歌詞に戻りますが、「言葉など一言もでてこず」「どんなコードもふさわしくないと思い」「メロディでは辿りつけない」ってなった訳ですよね。

「何処へも行けずに、ただTVに映る街並みを眺めてた」訳ですよね。

そういった「途方に暮れ」「圧倒的な無力」を感じた日々を忘れないと。

ここでは「僕ら」ではなく「僕」になってますね。

そして、「花びら」「春の風」「木陰の居眠り」「海辺の街並み」をその情景を見ながら「君」を思って祈ってるんですね。

と、ここで「もしや、、、?」となるわけです。

そしてその「もしや、、、?」が最後のサビで「そうか」に変わりました。

ひかり – 「僕ら」のひかり


小さな指も
僕にはひかりのようだったよ
共に在った日を抱きしめて
離さないで

繋ぎ合った手も
僕にはひかりのようだったよ
共に在った日を積み上げて
僕らは生きて行くんだよ


生きて行くんだよ
生きて行くんだよ
生きて行くんだよ

これまでサビでは「君」「彼」「彼女」がでてきましたが、ここで「僕」がでてきます。

厳密には「僕」と「僕ら」ですね。

「君」も「彼」も「彼女」も出てきません。

そしてこの最後のサビを見て思ったのは、「僕」と「彼」は一緒で、「君」と「彼女」は一緒なんじゃないかなと。

思えば冒頭に「僕らは何処へも行けずにいる」という歌詞がでてきます。

最初はこの「僕ら」ってのはアジカンの事を言ってるのかなって思いました。

でもそうじゃなくて、「僕」と「君」であり、「彼」と「彼女」が「僕ら」なんじゃないかなと。

つまり、最初から最後まで自分の気持ちを綴っているんじゃないかなと。

「言葉など一言も出てこなかった」ってなる程の状況。

「想いにもならないものが体を走った」状況。

「どんなコードもふさわしくないと思った」状況。

「メロディでは辿り着けないと思った」状況。

それは、そのことが起こった時の率直な気持ちなんじゃないかなと。

そして「僕らは何処へも行けずにいる」ってのも。

そんな中に見つけた「ひかり」

その「ひかり」があったから、そんな状況でも「僕らは生きて行くんだよ」という気持ちになった。

気持ちになれた。

絶望の中、一歩、前へと踏み出そうって気持ちになれた。

それは現実逃避じゃなくて、現実を受け入れたからこそ。

そうなれたのは「ひかり」のようなものがあったから。

だからこの先も「生きて行くんだよ」と。

ここまでのサビの最後は「彼は生きて行くのだろう」「君は生きて行くのだろう」だったのが「僕らは生きて行くんだよ」になってるのも良いですね。

「彼」「君」が「僕ら」に変わり、「生きて行くのだろう」が「生きて行くんだよ」に変わっている。

そこに「想い」なるものを感じました。

自分のことを綴っているにも関わらず、聴く人によってその「ひかり」を何かに置き換える事ができる。

その人その人にとっての「ひかり」きっとあったはず。

と思いたい。

そしてこの先もその「ひかり」のようなものを胸に生きて行く。

あの日の事を忘れることなく。

きっと生きて行ける、前に進める、だってあの日絶望に包まれた中ここまでこれたんだから。

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